長く付き合えるモノを見つける技術

スウェーデンでは、モノを新品で購入するよりも修理して使い続ける方が安くなるよう、修理にかかる付加価値税(VAT)を約半額にする政府予算案が昨年提出された。

「買い換えなくてもいい世界」をつくろうとするスウェーデンの挑戦|WIRED.jp

買い換えず、1つのモノを長く使い続けるのは良いことで、モノとの付き合い方としては疑いようもなく正しい。まさしく“正義”だと思う。他方で、世の中には修理して長く使い続けられないもの、使い続けるべきでないものが多数存在しているのも事実だ。

[mk_blockquote style=”line-style” font_family=”none” text_size=”12″ align=”left”]世の中には「計画的陳腐化」と呼ばれるものがあって、これがわたしたちの経済的・環境的破滅に大きく関わっているとされている。わたしたちが購入する製品は、脆弱で、どんどん壊れやすくなっている。そして、よく知られているように、修理するのは新しいものを購入するよりも費用がかかる。
これがいくらか発展の土台となっていることは、産業は物語ってきた。国民総生産を、そして雇用を増やすには、わたしたちは売って、売って、売りまくらなければならない、と。[/mk_blockquote]

上記WIREDの記事では「計画的陳腐化」により、生産側は意図的に長く使えないモノを作っている旨を語っている。近い話で、日本でも有名なのはソニータイマーの話だろう。

20年にわたってソニーを苦しめる「ソニータイマー」説|WIRED.jp

長く1つのモノと付き合う方法論

意図的に壊れるように作ることはないとしても、意図的に最新でない部品を使うことは各メーカー当たり前に行なっている。それは製品ラインナップやヒエラルキー上の関係性であったり、歩留まり、価格との兼ね合いなど様々な理由からだ。

つまり、全ての製品が「長く愛用してもらうために最適なかたち」で作られているわけではない。

とはいえスウェーデンの話でも語ったように、長く1つのモノと付き合い続けることは、モノとの関係性から考えれば絶対的に“正義”だと僕は思う。

もちろん環境に優しい、1つのモノを大事にするという道徳的な意味合いもあるが、個人的に大きいのはモノを買い換える度に悩む労力の無駄を省けるというメリットもある。

では、「長く愛用してもらうために最適なかたち」で作られていない製品があるなか、どのようにして「長く愛用できるもの」を探すべきか。

『物理的耐久性』と『社会的耐久性』

この問題に対し、僕はモノの耐久性を計るのに2つの評価基準を持って判断するようにしている。それが、『物理的耐久性』と『社会的耐久性』だ。

『物理的耐久性』は、物理的に使い続けられなくなる耐久限界を計るものだ。壊れたり、本来の性能を発揮できなくなる、消耗するなどで限界を迎える。

修理の話はこの物理的耐久性に含まれる。壊れても修理して使い続けられるものは物理的耐久性が高いといえるが、修理する体制が用意されていなかったり、修理できる場合でも修理価格が高すぎるものは、物理的耐久性は低いといえるだろう。

もう一方の『社会的耐久性』は、使い続けることが非効率になったり、メリットがなくなる耐久限界を計るものだ。作業効率が悪くなった古いパソコンや、流行を過ぎたり飽られた服、物理的には使い続けられるが、使い続けられない(けるべきではない)状態になることで限界を迎える。

社会の変化により耐久限界が訪れるため社会的耐久性と呼んでおり、カセットテープなどが淘汰されたのは、より効率的なメディアが登場したことによる社会的耐久性の限界を迎えたからだ。

この2つの基準で考えると、耐久性というものが立体的に見えてくる。

「丈夫」「長く使える」「飽きが来ない」「一生モノ」など耐久性に関する表現は数多存在するが、どれも作る側のロジックでしつらえられた言葉であり、消費者側にとってはこれらを一度に並べられると、その優越がとてつもなくわかりづらい。

だからこそ、モノを選ぶ際の評価基準はそれぞれが持つべきだと思うし、それは必ずしも一軸で整理できるものではないと思う。

レビューを読むな、写真を探せ

愛は写真に現れる。

僕がモノを探すとき「良いモノかも」と考える判断材料の1つに写真がある。

商業的な写真ではなく、いち消費者である誰かによって綺麗に写真に収めていると、それは良いモノかもしれないというわけだ。

探し方は簡単だ。

Googleで「モノの名前」を画像検索するか、Instagramで「#モノの名前」で検索するだけ。

しいてコツを挙げるなら、なるべく正式名称を調べることくらいだろう。

検索結果に現れる写真の中に、もし心惹かれるものがあれば、その画像が掲載されているサイト、またはアカウントを見てほしい。そのサイトやアカウントが個人のものなら、その写真はアタリだ。

わざわざカメラやスマホを取りだし、試行錯誤して綺麗な写真に収め、だれかにシェアしたくなるほど「お気に入り」のモノ。心惹かれる写真にはきっとそんなストーリーがあるはずだ。

そして、それだけ誰かに愛されるポテンシャルがあるモノなら、きっと良いモノだと僕は思っている。また、何人もの人が思い思いにそのモノを写真に収めているのなら、その可能性は尚更高い。

レビューを書くという行為は、脳内で良いと思った感覚を、考えに整理し言語化するプロセスを経る。他方で写真は良いと思った感覚を、感覚のまま写真に焼き付けられる。(写真のスキルの違いこそあれど)

良いと思う感覚を揺さぶる強さこそが、写真が持つ惹きつける力の強さ、そして、そのモノの良さなのだと思う。

新品こそが正義という考え方への違和感

中古で『EOS 5D mark』を買った。

Canonの4年前に発売されたカメラだ。先月4年ぶりに後継機が発売されたが、個人的にあまり惹かれる追加機能がなかったため、型落ちの中古を買うことにした。

僕が買った個体は、店頭に並んでいた中古品のなかでもボロい悪い方だった。発売日に購入され4年間がっつり使い込まれたのではと思わせるほど。各所に傷や塗装剥げが目立っていた。

状態が良いもの含め何台が選択肢があるなか、僕がこの個体を選んだのは、「シャッターユニット」という部品が新品交換されていたから。

シャッターユニットは交換すると6万円近くかかる消耗品だ。(15万ショットが耐用回数)店頭には同じ値段で、シャッターユニットの交換されてないが外観のきれいな個体もあった。しかしショット数のわからないまま購入して、10万ショットの個体を引いてしまうと、なかなかツラい。

型落ちとはいえ、3年程度は使う予定。であれば消耗パーツが交換され、追加コストがかかる可能性が少ない方がいいと考え、今回この個体を選んだ。

5dmk3_4

手垢にまみれた中古品は売れない


カメラを見ながら、店員さんと話していると、「外観がボロいとなかなか売れない」という話になった。たとえ中身が新品でも、外装がボロいとなかなか売れないらしい。しばらく売れないと外装を交換する場合もあるという。

もちろんカメラには種類はある。道具として使われる「機材」的なものから、趣味性の高いもの。飾られるような「趣向品」までさまざまだ。ただ、種類を問わず外観の程度は売れやすさに響くらしい。

極端な話「人の手垢がついたものは敬遠される」といったところだ。

確かに、このカメラもボロボロだ。シャッター部分や電源レバーは使いすぎて剥げてるし、軍幹部も底板も擦り傷が目立つ。

恐らく、毎日のように持ち運び撮影していたのだろう。使い込まれた末にシャッターは耐用回数を超え、後継機種の登場もあって買い換えられた。それを引き取った中古カメラ店がシャッターユニットを交換し、販売。僕に引き取られたと
いうところだろうか。

こういったモノの持つストーリーは、単なる「手垢」なのだろうか。

5dmk3_2

「新品」を信仰する人がいる

少し話は変わるが、「新築は家はぼったくり」という有名な話がある。新築の家は鍵を引き渡し、ドアを変えた瞬間に価格が2割落ちるのだ。

理由は2つある。1つは、新築販売における広告宣伝費などのコストが上乗せされ販売されているから。もう1つは、「新しい」という価値があるからだ。

多くの人にとって「新品」「未使用」は価値だ。僕自身、新品の価値には納得する一方、莫大なお金を払う程の価値かと問われると首を縦に振れないケースも多い。

個人的に一番違和感を感じるのが、家電の展示処分品だ。

大手家電量販店のアウトレットなどを見ると、展示処分品が数多販売されている。そして大体の場合、世の中の新品価格よりは安く、中古価格より高い価格設定になっている。

よくよく考えて欲しい。展示品は中古品より状態がいいだろうか?

小売店に勤めた経験のある方なら分かると思うが、展示品は雑に扱われる。傷はもちろん、落下跡、打撃跡も珍しくない。そして、商品として想定される使われ方ではないため、展示中に壊れるものも数多ある。

ディスプレイは焼き付く。カメラは耐用数をゆうに超えたショット数。パソコンのキーボードはヘタる。どれも一般的な話だ。

これが家具ならまだいい。外観の傷だけで済むからだ。家電は駆動部があるため、故障リスクが高くなる。展示品なら保証が効く場合もあるが、大体の家電の場合消耗パーツは対象外だ。カメラのシャッターユニットはまさにそこにあたる。

展示品として酷使されたものが、中古品より高いのは明らかにおかしい。それでも「一応新品」にお金を払うのは何故だろう。

 

知らない隣人への恐怖 = 誰かの手垢への嫌悪

「新しいものへの固執」は何故起こるのか。

原因は「知らない誰かへの恐怖」にあると僕は考えている。この話を考えていたときの思い出したのが、コミュニティの話だ。ご近所SNS『マチマチ』を運営する六人部さんという方が、以前こんな話をしていた。

[mk_blockquote style=”line-style” font_family=”none” text_size=”12″ align=”left”]マンションの場合ですと、顔見知りだとトラブルが少ないそうなんです。子供の声がうるさくてクレームになっていたものも、知っている人なら「〇〇さんの子供はまだ小さいからね」となるそうです。コミュニティの力って大事だなと改めて感じました。[/mk_blockquote]

2016年、地域コミュニティはオンラインで活性化する? 地域の課題を解決するSNS『マチマチ』

端的にいうと、「知らない誰か」には冷たいが、「知っているあの人」になると優しくなる。という話である。

中古品もこの感覚に近く、「知らない誰か」が使ったことに対する「恐怖的な何か」があるのではないだろうかと僕は考えている。傷だらけのカメラを使っていたのが仲の良いカメラマンだったら、果たしてそこまで嫌悪感を感じるのだろうか。

5dmk3_3

モノが持つストーリーを想像する


無論、この話はあくまで一視点にすぎない。ほかにも故障率、どう使われたかわからないリスクなど…、中古品を敬遠する理由はいくらでもある。ただ、他の理由にくらべ、この理由は非常に感覚的だ。

だからこそ、僕の中で違和感が強いのだと思う。

僕はそもそもモノが持つストーリーが好きだ。「カメラマンが毎日のように使い込んだ」「奥さんに隠れて一生懸命貯金してやっと買ったカメラだった」「画質に憧れて買ったけど、重くて使わなくなった」など。

人がモノを売る理由はいくらでもある。だからこそ、どんな人と、どんな生活を共にし、どんな写真を撮ってきたのだろうと僕は想像する。

それ自体が楽しいし、僕が中古品を買う理由の一つでもある。同じように、モノが持つストーリーを楽しめる人が増えて欲しい。そう勝手に思ったので、こんな記事を書いた。

「モノより体験を買う時代」に反抗したい

ある調査では、ミレニアル世代( 1980年-2004年頃生まれの若い人々)の多くは、モノより体験にお金を使いたいと考えているという。

[mk_blockquote style=”line-style” font_family=”none” text_size=”12″ align=”left”]ミレニアル世代の78%のがモノよりも経験にお金を使いたい

http://blog.btrax.com/jp/2015/11/16/millenials-z/
[/mk_blockquote]

「モノより思い出」なんて言葉が使われるようになってずいぶんと経つ。物質的なモノには僕たちは満足しており、これからは体験にお金を使う。使うべきというわけだ。

人によっては、モノにお金をつぎ込むことを旧時代的と揶揄することすらあるだろう。

モノは本当に人を幸せにしないのか。

僕はこれを否定したい。

モノを買うことは、「長期的な体験を買っている」と僕は思っているからだ。

例えば、座り心地のいいおしゃれな椅子を買ったとする。椅子に座り「リラックスできる」と思うことや、椅子があることで「部屋の雰囲気が明るくなった」と思うことは幸せな体験ではないだろうか。しかも、その体験はモノが存在しつづける限り、長期的に感じることができるはずだ。

ただ、「椅子に座る」という行為や、「部屋の雰囲気」のような日常的なものは無意識で記憶に残るわけではない。モノを通した体験は、「自分がこのモノによってどんな体験を享受できたか」を意識しなければ感じられない。

極端な話、忙しすぎて会社と家を往復しているだけの日常では気づけないけれど、時間のある朝にコーヒーを淹れてくつろぐ瞬間にこそ気づけるものだと思う。

欲しかったモノは、手にすれば当たり前になる。その当たり前を大事すれば、「モノを通した体験」は得られると僕は考えている。

この想いから、僕はブログメディア『Betters』を立ち上げました。モノの紹介を通し、どのような「体験」を手にできるか。単なる消費行動ではなく、「長期的な体験を買っているんだよ」と胸をはって言ってほしい。

『Betters』を通し、そんなモノとの出会いを増やしていければと思う。

image by PEXELS